芦別岳に登った日の夕方、利尻で出会って以来連絡を取り合っていたSちゃんがやって来ました。普段はユースホステルに泊まっているSちゃんに、何でもありのキャンプ料理を振舞い、利尻で別れてからの話を肴に買い込んできた酒をしこたま飲みます。彼女は利尻から礼文島に行き旅人の間では数々の奇行を強要されることで有名なユースホステルに泊まり、そこから僕の北上したルートを逆に南下し富良野に至ったといいます。北海道で初めて自転車を買ったような人がここ数日間毎日100km以上自転車で走っているというから驚きです。しかし、このSちゃん酒を飲んだり飲ませたりする仕事をしていただけありハッキリ言って酒豪。なかなか飲み切れずしばらくバックの底に転がっていた焼酎もぺろりと流し込み、薄っぺらな寝袋にお構いなくマットも敷かずそのまま眠り込んでしまいました。自転車で旅をするのもこの人なら必然であったろう、と思った次第です。
翌日は二人で富良野を観光しながら、また取り留めのない話を延々としていました。これからの冬北海道に留まるのか、それとも本州に戻るのか決めかねているSちゃんは少し不安そうにみえました。気温が下がり秋の深まりを感じると人はとても寂しくなります。異郷にいて、これからやってくる冬を思うととても気持ちが弱くなります。苫小牧から東京へ帰ることの決まっている僕は気楽なものです。しかし、すべてが未定のまま季節だけが進んで行くことに彼女が感じている不安はとてもよく分かりました。お互いが気持ちよく暮らせる場所を見つけられることを祈りつつ、彼女は北へ僕は南へとまた自転車を漕いでいきました。次はいつ会えるでしょうか。もしかしたらもう一生会えないかもしれません。しかし、あまりに黙々と移動し続けた北海道の旅で、彼女との会話はとても貴重なものでした。
いつまでも霧の立ち込める不思議な朝、ゆっくりと富良野平野を後に日高の山深い道を走ります。まるで岐阜の辺りでも走っているかのような山と木に囲まれた日高地方。今回は登ることのできなかった山々もここに沢山あります。日高は北海道のなかでも特別気になる場所のひとつです。やがて道は立派な沙流川の流れに沿って下り始めアイヌ文化で名高い二風谷に到着しました。しかし泊まろうと思っていたライダーハウスに行くとすでに営業期間は過ぎていて断られてしまい、北海道最後の夜もまた川原での野営となりました。翌朝はしっかりと冷え込み、ましてや川沿い、なかなか寝袋から出ることができません。関東育ちの僕には冬の足音がすでに聞こえてきました。
もう苫小牧は目と鼻の先です。沙流川沿いに海まで出てそこからは次第に交通量の多くなってゆく海岸沿いの工業地帯を進みます。久しぶりに大量の排気ガスを吸い、今まで走っていた道の長閑さを懐かしく思い返しました。そして数時間ののち、あっけなく見覚えのある苫小牧の街に到着しました。夕方まで市場や街をふらふらとして、大洗行きのフェリーに乗り込んだところでぼくの北海道の旅が終わりました。
一筆書きの線が交わって円を描いたというのに、何ともあっけない幕切れです。甲板から離れてゆく苫小牧港を眺めていると、どこか物足りない、そんな思いを抱きました。北海道という大地の胸を借り、そこで体力の限り遊ばせてもらいました。身体は疲れていても気持ちは物足りず、それでも夕方の鐘の音を聞くと妙に家に帰りたくなってしまうような、そんなどっち付かずの気持ちです。しかしそんなぼくにお構いなく、闇夜に浮かぶフェリーはゆらりゆらりと揺れながら、南へ、南へと進んで行くのでした。
まとめるほどの旅ではないと思いますが日高を走っているときにあることを思ったので代わり書きたいと思います。短い期間だったけれど同じことを繰り返した末、唐突に雷に打たれたように、こう思えたことがぼくのささやかな達成感なのかもしれません。そして、こう思えたことがまた次なる旅への動機になってゆくのではないかと思うのです。
ぼくは自転車を漕ぎながら空を見上げた
山と森に隠されて、空も一筋の道のように伸びていた
空と山、その下に自転車と道とぼくがあった
ただそれだけだった
その簡潔さがまるで夢の中のようだった
走ってきた道 登った山 見てきた風景
そして今こうして自転車を漕いでいる自分自身も
ほんとうはみんな夢の中の出来事じゃないだろうか
ぼくはずっと夢のなかで足を回し続けていたんじゃないだろうか
一体誰がこれを夢なんかじゃないと言えるのだろうか?