日曜日, 3月 11, 2007

北海道・時計まわり8

注・2005年9月の記憶をのんびりと掘り起こしています。



 内陸部に入り久しぶりに海のない風景の中を走ります。内陸部に入ってすぐに気づいたことはとにかく坂が多いということ。急勾配はなくとも緩やかなアップダウンが続くことで体力がじわじわと吸い取られ、午後3時を過ぎるととたんにペースが落ちてきます。この日は羅臼からの長丁場をこなし摩周の町に到着しました。曇天で今にも雨が降りそうな空と延々と続くアップダウンに気持ちが消耗しました。駅前でキャンプ場の場所を聞きそちらへ向かっていると何やら野営するにはもってこいの橋がありました。今夜から雨が降るというので屋根があるにこしたことはありません。次第に人里の中での野営技術の勘が鋭くなってきたようで、その橋の下のスペースにはテントが違和感なく溶け込んでいました(ぼくの気のせいでしょうか?)。橋の下から銭湯や買出しへ行き、そしてまた橋の下へ戻る。こういうことをしていても緊張感がないのは北海道の良いところです。


摩周 わたしの家


 夜半から降り出した雨が翌朝も降り続けます。今日は峠を一つ越えて阿寒まで行くつもりですが雨の中走るのは気が進みません。とりあえず本を読みます。大江健三郎著『レインツリーを聴く女たち』。雨が止むのを待ちながらレインツリーもなかろう、と思いますが、こちらは雨は雨でも慈悲の雨。雨が止んだ後も葉に溜め込んだ雨を滴らせるレインツリーのイメージと虚構・現実の混ざっりあったようなストーリーの中で根源的な魅力を発する女が絡み合い、絶望とそこから生まれる再生を描く話。しばし自分の状況を忘れ読みふけりました。読み終わりときには雲間から射す光が、となれば美しいのですが現実はそううまくはいきません。待つのは苦手なので快適な橋の下から雨の中へ飛び出しました。しばし平らな大地を走りやがて山間部へ吸い込まれて行きます。地図で確認するもどこが峠の頂点なのか分からず、とにかくカーブの向こうから次々と姿を現す登り坂と降りしきる雨に悪態をつきながら淡々と漕いで行きます。レインスーツの内部は汗でびっしょりと濡れ、着ていようが着ていまいが同じです。暑いようで寒く、寒いようで暑い、どこまで登るか分からない、体力的精神的にとても疲れた峠でした。しかし阿寒が近づくにつれ雲の隙間から光が射すようになり、阿寒湖のライダーハウスに着く頃に雨は止み明日の快晴を予感させるような夕焼けが広がりました。

 阿寒の名物ライダーハウス。一泊500円夕食付きという破格のこの宿のオーナーはまるで仙人のような柔和な笑顔と白い髯をもつアイヌの方でした。確かなお年は分かりませんがここ阿寒のアイヌコタンでは長老的な方です。しかしこの方よく酒を飲み、よくしゃべります。夜になると自ら夕食を調理し、色々なところから集まってきた旅人たちが一緒に夕食をいただきます。毎晩どこからともなく酒瓶が持ち込まれ僕のような始めての者や何度もやってきている顔なじみのリピーターが集まり、賑やかな宴となります。アイヌのこと、旅のこと、人生のこと。話題は尽きず、先に体力の方が尽きて酒の入ったコップを握ったままウトウトとしてしまいました。


雌阿寒岳へ

 しかし、二日酔いであろうがぼくの旅は続きます。まだ寝静まるライダーハウスから一番に這い出し雌阿寒岳を目指します。早朝のスキー場を登り、ひと山越えて下ったところが雌阿寒岳の登山口です。遠回りですが、海抜0mから自転車と自分の足で登るという原則を守るためバスは使えません。登山口から森を抜け、低木帯を抜けると月面さながらの風景が待っていました。そしてこの山に命の火が燻っていることを示す白い煙がもくもくと立ち昇って行きます。山頂から覗き込む火口はとても荒々しく崩れた岩肌とエメラルドグリーンの円形の池が不思議な対称を作っていました。地球の胎動が聞こえてきそうな生きのいい山に登り、下山後はその地球から湧き出た温泉で汗を流します。夜には羅臼で豪華な饗宴を共にしたバイク乗りのUさんもやってきて、酒を片手にお互いが好きな写真談義に花を咲かせました。

息吹く雌阿寒岳

 次に目指す山は富良野の芦別岳です。日程的にこれが最後の山になります。旅の終わりが見えてくるにつれて、旅の後のことをあれこれと考えるようになってきます。しかし、風を切って自転車で走り、一歩一歩無心に山に登っている間だけは、自分と行為の間に隙間がなくなり、何にも思い悩まず目の前に集中できます。そんな時間を惜しみながら、また一歩苫小牧へ近づいてゆきました。


雌阿寒岳山頂  / 雌阿寒のもりにて 


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