月曜日, 3月 05, 2007

北海道・時計まわり7

注・2005年9月の記憶をのんびりと掘り起こしています。

風を避け、屈み込むとそこに

 

 朝起きると空は高曇り。どうやら羅臼岳も雲のなかへ隠れているようです。雨の日に登るのは気が進まないのでしばらくラジオの天気予報を聞きながら様子を見ます。空に晴れる兆しはありません。しかし天気予報ではこれから回復へ向かう模様。今にも雨が降りそうな空の下、半信半疑のまま歩き出しました。ここ知床と言えばやはり熊。出会いがしらに遭遇でもしたら洒落にならないので、意味のない声を上げたり、笛を吹いたりして歩きます。滅多に遭遇することはないだろうし、あれだけ騒がしく歩いていればどんな熊でも気づくでしょう。しかし、腰を下ろして休憩しているときなどはちょっとした物音にいちいちびびりました。羅臼山頂へは羅臼平で北側からのルートと合流しさらに頂上へ30分ほど岩の間を縫うように登ります。その羅臼平へ近づくにつれて天気はよくなるどころかどんどん悪くなってきます。雨が降り始め雲で視界も悪く風が次第に強くなってきます。そして羅臼平(太平洋側とオホーツク海側を分ける分水嶺の上)に出たとたん風が爆発しました。オホーツクから吹き込んでくる風がめまぐるしく方向を変えて、踊り狂っているような雲と真横に走る雨の帯しか見えません。雨粒と跳ね上げられる砂利が顔に当たり涙が出ます。はたして展望のないただ風雨に晒された山頂に登ったところで喜びがあるのだろうか?ただ往復してくるだけではもったいなくはないか?と出直す理由を探し始めます。そして、身体が冷えて気持ちが萎えてきたところで、何も言わずにくるりと山頂に背を向けて下り始めました。我ながらあっさりしています。明日に期待を託して、駆けるように下山ました。その日の午後遅くに空は晴れ渡り、買出しに出た羅臼の町からは雲ひとつかからないずんぐりとした羅臼岳の姿が見えました。明日は大いに期待できそうです。

コケと硫黄の親密な関係 泊場  / 近く、そして遠く 国後島 / 風と雲 羅臼岳山頂

 翌日は天気予報通りに晴れ渡り、昨日登ったばかりの道もまるで違ったものに見えます。硫黄泉が湧き異様な光景を見せる泊場、だめ押しの急登が始まる屏風岩を経てぐんぐん高度を上げ、振り返るとすぐそこに国後島が横たわっていました。しかし羅臼平に近づくにつれてまたしても雲がかかり不穏な天気です。しかし、前日ほどは悪くはならずウトロ側からは沢山の登山者が登ってきました。ぼくが昨日今日と登ってきた羅臼側からのルートは標高差が1500m近くあるので敬遠されているようです。岩の間を縫うように登り続けると最後には岩ばかりの山頂にたどりつきます。残念ながら展望はなく、オホーツク側から冷たい風が吹きすさんでいました。何はともあれ二日かけて登ることができた知床初のピークに、展望とは裏腹に気持ちは晴れ晴れとしていました。次来る時は雪のある季節になるのでしょう。その時は硫黄岳、知床岬も視野に入れもっと大きな山旅がしたいものです。

雲が降りてくる


 そしてこの夜、事件はキャンプ場で起きました。休暇を使って釣り旅をしている方が食いきれないから一緒に食べようと鮭、カラフト鱒、その他色々な魚を振舞ってくれたのです。関東からきた写真家を目指しているというUさん、映画の照明をやっているというダンディーなおじさんなどライダー連中も混ざり、食うわ呑むわの宴会となりました。石狩鍋、バターソテーにホイル焼き。この北海道ツーリングの常識を覆す一夜限りの大饗宴です。自転車乗りであること=誰よりも食べてよい、という公理に即して心行くまでいただきます。そしてしばらく腹を落ち着かせたのち、熊の湯の熱湯に浸かり星空を眺めるのです。登る・呑んで食べる・風呂に入って寝る。人生の黄金律ここにあり!素っ裸のまま夜空に叫びたくなるほどです。北海道に来て2週間半、ようやく秋の北海道の何たるか(人生の何たるか?)を見つけたような気がしました。

翌朝、酒としょうゆにひと晩漬けたいくらをいくら丼ならぬ、いくらにご飯をかけた丼にし惜しげもなく平らげました。昨夜の饗宴を共にしたライダーたちにウィスキーやら食べ物を餞別にいただきキャンプ場を後にします。穏やかな天気のした、手を伸ばせば届きそうなところに横たわる国後島を眺めながら上標津まで南下し、そこから内陸部へ向けて走りだしました。

稀な朝食

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