木曜日, 12月 31, 2009

12/28 Mixed Climbing "Coire Dubh Integrale 5.7, WI3 550m"


クリスマスパーティー+Nemesisに続き、忘年会をやった翌日にCoire Dubh Integraleへ。場所は毎度お馴染みのヤムナスカの東、Goat MountainのA1ハイウェイから数えて二番目のガリー。なんのこっちゃという人が多いと思いますが下の写真のようにヤムナスカが見えるあたりです。パートナーは山に行きたくて仕方がないジャンボ。

夜明けのヤムナスカ

アプローチはNanny Goatなどと同じゴミ捨て場のパーキングからスタート。ゴミ捨て場を左から迂回しGoat Mountain沿いにどんどん歩く。最初の大きなガリーをパスしルートはまだ見えないが二番目のガリーを目指す。雪が少なければ1時間程度。

クライミング開始 WI3の氷から

ルート下部 とにかくどんどん登る

ルートはWI3の氷から。氷、雪、氷、雪とどんどんコンテで登ってゆくと氷が終わるところで30mほどの壁に当たる。ここは左の薄い氷(70度)のミックスか右の凹角の岩登り。左のラインが面白そうなのでここはリードさせてもらった。プロテクションもよく取れなかなか良いピッチでした。そこから先はまたもやコンテで雪、岩、雪、岩とどんどん登り、やがて稜線へ突き上げる大きなコーナーへ。この辺りはいくらでもラインが取れそうだけど今回は真ん中のラインを詰めてきたらこのコーナーへ辿り着いた。5.5から5.6ぐらいのクライミングを60m、プラス15mほどのおまけで稜線へ到着。そこでギアを整理しあとは稜線を登りLoder Peakの頂上へ。9:00に登り始め頂上へ着いたのが13:30。そしてそこからA1へ稜線通しに下り道路へ着いたのが15:30。思いのほか早く着きました。

左のミックスラインのビレイより 背後には平原が広がる

Loder Peak 稜線は風が当たり寒い

これから山に入るときの足慣らしに最適なルート。アルパインガイドの試験で使われるルートらしいけど、色々な要素が出てくるので納得。とても良いルートでした。

月曜日, 12月 28, 2009

12/26 Ice Climbing "The Nemesis 160m WI6"

左の氷瀑がNemesis、右はSuffer Machine

クリスマスパーティーを22時過ぎに引き上げ、ちょっと寝て4時に起き5時過ぎ出発。6時半にパーキングを出発し、2時間半ほどでクライミングの準備終了。アプローチ中はまったくの暗闇、ルートの下に着くころに明るくなってきました。冬至から数日経っただけなので悲しいぐらいに日が短いです。

1PをフォローするJNY

1p目はトポによるとコンディションが悪いことが多いピッチ。確かに悪いときはシャンデリア状態になりそうだけど、今日は氷が割れやすいのを除けばさほど悪くはないピッチ。そして2P 目は弱点を登れば楽しいばかりのお気楽ピッチ。この2ピッチを自分でリードしパートナーのJNYを核心の3ピッチ目まで温存。そして3ピッチ目。出だしはクラゲのような形状。しかしトラバースをしてゆくと次第に良い氷になり傾斜の強いクライミングが楽しめる。時々休めるスタンスがあり、スクリューもよく入るので決してデスペレイトではなく、ステレニアス感たっぷりな非常にエクセレントなピッチだった。70mロープなら終了点まで届きそうだが我々のロープは60mなので途中で切り最後の短いピッチをそのままJNYが登り終了。切った場所が悪かったのでしばし氷の落とせない微妙なクライミングだったけどJNYが慎重に登ってくれたので無傷でした。よかった。

核心の3PをスタートするJNY

4P目を登るJNY 氷を落とせない位置にて微妙なクライミング中

 2ピッチ目の終わりに荷物を置いてきてしまったのでアバラコフを作り50mラッペルで2ピッチ目の終わりまで下り、そこからは60mラッペル+3mクライムダウンで地面へ。9時半に登り始めて3時30分に降りてきたのでまずまずのペースでした。あと少しで帰国してしまうJNYにも良い思いでになったことでしょう。自分的にはいままでロッキーで登ったルート中ベストなルートでした。

下降はルートに向かって右の岩にもラッペル用のアンカーが見えたのでそちらからも可能。

12/25 Ice climbing "Bourgeau Left-Hand 185m WI5"


2ピッチ目を終わったところで上部に光が指してきた

アメリカをクライミングトリップしていたジャンボ氏とChiちゃんが帰ってきた。半年間ひたすら岩を触ってきたジャンボに足慣らしとして用意したのはこの界隈でもっとも暖かく、それでいてスケールがあり、ルートのクオリティも高い“ボージョーの左”。この前登ったばかりだけどこのルートかなり好きです。アプローチも40分と手ごろなのもポイントが高い。ロッキーにやって来たときの最初の1本としてもお薦めです。


慣らしなので簡単なピッチをリードするジャンボ

前回リードしなかった核心ピッチをリードした 程よい緊張感のWI5

今回は8時過ぎにパーキングを出て、2時にパーキング着。明るいうちに帰れるのって幸せだなぁ。そして夜はヤムナスカのクリスマスパーティーへ繰り出したとさ。


土曜日, 12月 19, 2009

"Being Caribou: Five Months on Foot with an Arctic Herd " written by Karsten Heuer



 久しぶりに長めの体調不良。12/11から喉の痛み→大量の鼻水→咳→熱→頭痛とめまぐるしく症状が変化してやっと12/17に復活の兆し。一時は医者から肺炎かもなんていわれて胸のレントゲンを撮ったりしていましたが、どうやらその後連絡がないので(このあたりがカナディアンシステムだなぁ)何事もなく終わりそうです。昨日は軽くジムで登ってみたがオーバーハングを登ると顔が青白くなっていた。しばらくは慣らし運転でいきます。

 というわけで引きこもって本を読んでいたので、また読んだ本の紹介。著者のKarsten Heuerさんは生物学者で国立公園のワーデン(レンジャー)。奥さんのLeanne Allisonさんは映像作家。この本で描かれているのはその二人が2003年春から秋にかけて季節移動するカリブーの群れと共に極北を旅した記録。ユーコン準州のOld Crowから出発し、アラスカのKaktovikの南、The Arctic National Wildlife Refugeで折り返し、またOld Crowまでほぼ全域をスキーか徒歩で踏破しつつ、カリブーの群れを追うという壮大な旅。カリブーの群れが子供を出産し、夏を過ごす北極海沿岸部のThe Arctic National Wildlife Refugeの一部1002 Sectionがこのストーリーのひとつの焦点。油田開発地として候補に挙がっているそのエリアは、カリブーの季節移動の折り返し地点であり、子供を出産する重要な場所。保護と開発の戦いが80年代から続いていて先住民グループの中でも保護派と開発派がいるという複雑な政治状況やブッシュ政権下の激烈な開発運動にさらされてきた背景があります。
 彼らの旅が強烈な政治的メッセージとなることは困難だったようですが、その体験(Being Caribou カリブーになる)から得たことは、一般の読者へ強いメッセージとなるように感じます。数字や生態の科学的な分析とは対極にある体験からくる身体感覚によって引き出されたメッセージがこの本の中にはたくさん詰まっていました。

 彼らのホームページ(Necessary Journeys)から"Being Caribou"のフィルムやその他背景を知る資料を見ることができます。ちなみに今年のバンフ・マウンテンフィルム・フェスティバルで上映された"Finding Farley"もかなり良かったそうです。ちなみにこのご夫婦、キャンモア在住だそうで。色んな人が結構身近にいるものですな。





火曜日, 12月 15, 2009

"Epic Wanderer: David Thompson and the Opening of the West" written by D’Arcy Jenish



デイビット・トンプソンって誰?という人のほうが多いと思います。自分も最近までそんな感じでした。

 カナダの短い歴史において19世紀初期というのは毛皮交易とそれに伴う西部開拓の時代と呼べると思いますが、このデイビット・トンプソンというのはその時代の代表的な毛皮交易会社ハドソンズベイカンパニーとノースウェストCO.で重要な働きをした人物。六分儀と天文学を駆使してまだ空白部だらけだった北西部を地図に記してゆきます。同時代にコロンビア川の河口が発見され、その頃まさにカナディアンロッキーをハウズパスから越え大分水嶺西部領域にたどり着いたトンプソンは大河コロンビア川の全域を解明し、モントリオールまで毛皮を運搬せずに太平洋へ直接運ぶルートの開拓へ乗り出しました。この本の中では毛皮交易ルートの開拓よりも彼のあくなき冒険心と地図の空白部を埋めるという野望がコロンビア川全域解明の動機としてドラマチックに描かれていますが、そこのところはちょっと鼻につく感じ。そのあたりは著者の想像に任せときましょう。
 
 コロンビア川河口までたどり着いたトンプソンはやがて毛皮交易から引退し、オンタリオのウィリアムスタウンで第二の人生を始めます。そして数十年の旅の間に集め続けた川の緯度経度を元にカナダの東と西をカヴァーする地図を作りあげます。それがこれ。1819年に作られたそうな。


 時はアメリカとカナダ自治区(イギリス)がお互いの領土を広げるために火花を散らしていた時代。現在のオレゴン州領域を得るためにトンプソンの地図は絶大な威力を発揮するはずでしたが、なぜか彼の地図はあまり省みられず、イギリス政府からもらった地図への報酬はたったの£150。年金を期待していたトンプソンにとってはかなりの痛手。やがて毛皮時代というすでに過去になるつつある時代に活躍したトンプソンは忘れられ、借金の返済にいそしむという不遇な老後を経て1857年に亡くなります

 1870年台。大陸横断鉄道建設の始まる時代。作成から50年の時を経てが彼の地図がここで活用されたというからその正確さには驚くばかりです。その頃ロイヤル・ティレル博物館の名になっている地質学者ジョセフ・ティレルがトンプソンの日記を編集し出版。これを期に死後30年経ってから巷の人々がトンプソンという人物の偉業を本当に理解しはじめました。生前に理解されず死後本当に評価され始めるという話はよくありますが、年老いたトンプソンが方々に借金のお願いに行き、省みられない手紙をイギリス政府へ送り続けるあたりのくだりは結構涙もの。詐欺同然の手に引っかかり毛皮商人時代に蓄えた資産をほとんど取られたりしてますからね。原野に長けた人間の都会での弱さがよく出てます。

 平易な英語で書かれているのでデイビット・トンプソンを知る最初の一冊に良いです。読むときはパソコンの前に行きGoogle Mapの地形地図を見ながら読み進めると面白いです。川を頼りに開拓が進むので現代人が移動するルートとはかなり外れていて興味深いですね。



日曜日, 12月 13, 2009

"Explorers of the infinite" written by Maria Coffey


寒い日が続いています。昨日は体感温度20度以下ということでハフナークリークへ。パートナーが風邪気味ということで早めに帰ってきたら自分も風邪をひいてました。喉が焼けるように痛いです。しばし休憩モード。

夏が終わってから色々と本を読んでいたのでそれの紹介。



サブタイトルに"The Secret Spiritual Lives of Extreme Athletes-and What They Reveal About Near-Death Experiences, Psychic Communication, and Touching the Beyond"。エキスパートアスリート、エクスリームスポーツアスリート(クライミング、ベースジャンプ、フリーダイビング、etc)、冒険家の極限の経験の末に現れるいわゆるベーシックな科学では説明のつかない体験、未知なるものの出現、究極の集中とそれにともなう世界との一体感などを紹介しつつ、それに答えようとする宗教や現代の先端科学を幅広く紹介しています。本の中に極限の状況に置かれた者とその愛する人との間に起こるテレパシーのようなものもたびたび紹介されていますが、著者自身かつての恋人をエベレストで失い同様の感覚を覚えているようで、どちらかというと一歩引いた立場から未知なる現象を探っているというよりは、よりそういった感覚に親近感を抱いている人間としてこのテーマに取り組んでいる様子。極限状態の末に現れる現象を科学的に説明してくれよ、という理性だけで読もうとするとあまり面白くないかもしれないけど、もう一歩入り込んで自分のプチ極限的体験と照らし合わせながら読むと結構面白いです。バンフブックフェスティバルにてJon Whyte Award受賞の良書。




木曜日, 12月 10, 2009

12/3 Ice climbing "Lone Ranger 120m WI3" & "The Chalice and the Blade 70m WI5"


Ranger Creek 奥エリア

 スタンレーヘッドウォール、ボージョーレフトと登った次の日はさすがに疲労感深い。なので近場のレンジャークリークへ向かいます。便利なところだけどさすがに3度目となるともうしばらくは来ないだろうなぁ、という感じがしました。前回は新雪のラッセルがあったので大変でしたが今回は雪も締まり踏み跡がないわりには楽なアプローチ。しかし、ところどころにデブリがあり、やはりここは雪崩れる場所なんだなぁと実感しました。手前にあるR&Dはもう二回登ったので一番奥にあるChaliceのエリアへ直行。

 今回登りたかったのはLone Ranger というルート。前回見たときは下部が薄かったので今回はもう少し氷が厚くなっているのを期待していきました。しかし辿り着いてみるとなぜか前回よりもさらに薄くなっている様子。あまり観察せずに取り付いてみたがどうやら20m以上はランナウト(アイススクリューなどのプロテクションを取らずに登り続けること)しなければならない。5mぐらい上がったところでしばらく優柔不断していたが気持ちが負けて降りることにしました。WI3ぐらいでプロテクションがないと登れないというのは何かが致命的に足りていないということではなかろうか。しかしどうすればこういう場面を楽しめるようになるのだろうか。課題ですな。

エクセレントな50m Chalice and Blade 

 Chalice and Bladeへ移動してJNYのリードで仕切りなおし。見た目よりもかなり傾斜があり、さらに寒さも加わりなかなかリードがスムーズに進まないようだった。途中で指に血液が戻る例の激痛もあったりしたようで刺激的なリードだったそうな。フォローしてみると所々わずかにオーバーハングしている場所がありなかなか手ごわかった。リアルWI5でした。上部は傾斜がないので割愛しアバラコフ(穴を開けた氷にスリングを通して作った支点)で下降しました。


Lone Ranger

 時間があるので今度はJNYがLone Rangerへトライ。5mぐらい上がったところで登れば戻れないようなムーブがありそこでしばらく悩んでいましたが、結局クライムダウン。この先のルートのことではなく、この先の冬のことを考えてしまったとか。その気持ち分かります。

 ひとつ先のムーブに集中できたら恐怖感は薄くなってゆくと思う。しかし、その先のムーブやその先のプロテクション、明日のクライミング、そのシーズンのクライミング、その先の人生などに思いが飛ぶと不安と恐怖で先に進めなくなってしまう。そうやって先を考えることは自然な思考の流れだと思うけど、クライミングの中の瞬間、瞬間にとっては“雑念”以外の何ものでもないということか。

 身体よりも頭が動いた一日でした。

日曜日, 12月 06, 2009

12/2 Ice climbing "Bourgeau Left-Hand 185m WI5"



 Bourgeauと書いてボージョーと読むこの山はサンシャインスキー場のパーキングの北にあり、ゴンドラからはこの大きな氷瀑もよく見ることができます。この辺りでは数少ない日当たりの良いルートで地形的にもヒートトラップになっているため、よく冷えた日に登るのがお薦め。あと何よりも気をつけたいのはこのルートの上部は巨大なボウルになっており、ドカ雪後は雪崩の危険にさらされます。パーキングが近いので国立公園が爆発物を使って雪崩コントロールをしているので、登る前にはバンフ国立公園のウェブサイトもしくはインフォセンターに確認を取ったほうが良いでしょう。

スーパー快適なファーストピッチ

 上部も2ピッチあり、最初はアプローチ的なピッチ、そして最後が核心のWI5。右側の岩に二箇所ビレイポイントがあるので好きなほうで切れますが、上のポイントの方が最後のリードが楽になるでしょう。今回はまだ氷が少なく(しかし登るには十分)グレード的にはWI4チックでした。

暖かさに和んでいるJNY

3P

最後の核心ピッチ

 各ビレイ点はボルトで整備されているので下りは懸垂下降4回。

 日当たり良し、ルート良し、アプローチ良し(40分)。最近日陰にばかりいたのでだいぶ癒されました。しかし、一度こういう日当たりの良いところで登るとまた日陰に戻るのがつらくなってしまいます。一日にしてスポイルされました。スタンレーヘッドウォールはやっぱり寒いですよ。

背後にはサンシャインスキー場のゴンドラ

木曜日, 12月 03, 2009

12/1 Stanley Head Wall, Suffer Machine V M7(or 5.6, A1) WI5, 200m


Stanley Headwall, Suffer Machine

再びスタンレーヘッドウォールのSuffer Machineへ。
今回は日本から遊びにきてキャンモア滞在中のJNY。アラスカから戻ってきた翌日から早速の参戦してくれました。
Left/ Nemesis  Right/Suffer Machine

前回はパートナーMがなぜか4時間かかってしまった1Pを自分がリード。出だしは5.6のドライツーリング(アックスを岩に引っ掛ける登り方のこと)、その後の20mはボルトラダーをA1、もしくはフリーで行くとM7。未熟なものでA1 で登りました。何とか2時間弱でリード終了。フォローを入れると3時間弱ぐらいかかってしまった。しかし、この先がまた長かった。

1PをフォローするJNY
2P 出だしの傾斜の強い部分を登るJNY

JNYが2Pをリード。WI5-ぐらいの傾斜の強い20mからWI4ぐらいの25mを経てルート中央のレッジまで。ヘッドウォールは常に日陰なんですが、ハンギングビレーしていたらすっかり足の感覚が鈍くなってました。寒かったー。そこから先の3Pは自分のリードでWI4ぐらいで40m。

3P終了点 薄暗くなってきた

JNYがビレイに到着した時点でやや薄暗くなりかけてきました。この先50mぐらいで終了ではないかと思いしばらく行くか行くまいか迷いました。しかし下降用の支点も作らなくてはいけないし、延々と暗闇をラッペルするのも怖いので今回は潔く降りることに決定。こうして二度目の挑戦も途中敗退となりました。

結局、暗い中懸垂下降を終えてトレイルからルート見上げると自分たちのいた場所がよく見えます。そこから終了点まではまだ70m強ぐらいはありそうな感じでした。ルートに入ってしまうとこういうことが全然分からなくなってしまいますね。降りて正解だったと自分を慰めました。もっと早く出発して、もっと早く登らないといつまでたっても完登できないなあ。がんばろっと。

タイム
パーキング 7:30
取り付き 9:45
最高地点 17:00
パーキング 19:50