火曜日, 12月 15, 2009

"Epic Wanderer: David Thompson and the Opening of the West" written by D’Arcy Jenish



デイビット・トンプソンって誰?という人のほうが多いと思います。自分も最近までそんな感じでした。

 カナダの短い歴史において19世紀初期というのは毛皮交易とそれに伴う西部開拓の時代と呼べると思いますが、このデイビット・トンプソンというのはその時代の代表的な毛皮交易会社ハドソンズベイカンパニーとノースウェストCO.で重要な働きをした人物。六分儀と天文学を駆使してまだ空白部だらけだった北西部を地図に記してゆきます。同時代にコロンビア川の河口が発見され、その頃まさにカナディアンロッキーをハウズパスから越え大分水嶺西部領域にたどり着いたトンプソンは大河コロンビア川の全域を解明し、モントリオールまで毛皮を運搬せずに太平洋へ直接運ぶルートの開拓へ乗り出しました。この本の中では毛皮交易ルートの開拓よりも彼のあくなき冒険心と地図の空白部を埋めるという野望がコロンビア川全域解明の動機としてドラマチックに描かれていますが、そこのところはちょっと鼻につく感じ。そのあたりは著者の想像に任せときましょう。
 
 コロンビア川河口までたどり着いたトンプソンはやがて毛皮交易から引退し、オンタリオのウィリアムスタウンで第二の人生を始めます。そして数十年の旅の間に集め続けた川の緯度経度を元にカナダの東と西をカヴァーする地図を作りあげます。それがこれ。1819年に作られたそうな。


 時はアメリカとカナダ自治区(イギリス)がお互いの領土を広げるために火花を散らしていた時代。現在のオレゴン州領域を得るためにトンプソンの地図は絶大な威力を発揮するはずでしたが、なぜか彼の地図はあまり省みられず、イギリス政府からもらった地図への報酬はたったの£150。年金を期待していたトンプソンにとってはかなりの痛手。やがて毛皮時代というすでに過去になるつつある時代に活躍したトンプソンは忘れられ、借金の返済にいそしむという不遇な老後を経て1857年に亡くなります

 1870年台。大陸横断鉄道建設の始まる時代。作成から50年の時を経てが彼の地図がここで活用されたというからその正確さには驚くばかりです。その頃ロイヤル・ティレル博物館の名になっている地質学者ジョセフ・ティレルがトンプソンの日記を編集し出版。これを期に死後30年経ってから巷の人々がトンプソンという人物の偉業を本当に理解しはじめました。生前に理解されず死後本当に評価され始めるという話はよくありますが、年老いたトンプソンが方々に借金のお願いに行き、省みられない手紙をイギリス政府へ送り続けるあたりのくだりは結構涙もの。詐欺同然の手に引っかかり毛皮商人時代に蓄えた資産をほとんど取られたりしてますからね。原野に長けた人間の都会での弱さがよく出てます。

 平易な英語で書かれているのでデイビット・トンプソンを知る最初の一冊に良いです。読むときはパソコンの前に行きGoogle Mapの地形地図を見ながら読み進めると面白いです。川を頼りに開拓が進むので現代人が移動するルートとはかなり外れていて興味深いですね。



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