木曜日, 1月 18, 2007

熊野と伊勢に詣でる正月3

浜の宮大神社/Pentax istDS DA18-55mm/   

熊野三山の他にとても印象に残ったのが那智浜と補陀洛山寺・浜の宮大神社でした。
補陀洛とは『華厳経』によるとインド南端に位置するとされる浄土・ポータラカからきているそうです。ラサのポタラ宮も同じですね。そして補陀洛渡海とは、那智の浜から船出し補陀洛浄土に渡ろうとする行です。もちろん生身の人間が船に乗ります。お経を唱えながら浄土を目指すという究極の荒行。以前、大きな坪に入りそのまま埋められて、死ぬまで経を唱え続ける行のことを知りましたが、この補陀洛渡海という行は遥かにドラマチックです。さぞ人心をつかんだことでしょう。
補陀洛山寺/Ricoh GR Digital/Photo by Makiko

補陀洛山寺の木造の千手観音を見ることはできませんでしたが、境内にはかつて渚の森と呼ばれていた頃の名残である巨大な楠があり、とても良い時間を過ごしました。午前の人気のない那智の浜はとても穏やかでした。はるばる他所からこの風光明媚な土地まで徒歩で巡礼にやってきた人びとはこの浜で何を思ったのでしょうか。

何事のおはしますをば知らねどもかたじけなさの涙こぼるる

西行作といわれるこの歌を後日知りました。海の向こうに浄土があると思うこと、神社を詣でて見えない何かに想いを託すこと、山の上での一瞬の壮大な光景に心奪われること。心に湧き上がるのはみな同じ、わけも分からず”こぼるる涙”、ではないかと思います。

山中に突然現れた信じられないように美しい光景に、ああこのままいってしまってもいいなぁ、と思うことはそう少なくありません。”いく”といってもどこにいくのか分かりませんが、その瞬間だけどこかに”いって”、また帰ってきている気はします。

0 件のコメント: