熊野三山の他にとても印象に残ったのが那智浜と補陀洛山寺・浜の宮大神社でした。
補陀洛とは『華厳経』によるとインド南端に位置するとされる浄土・ポータラカからきているそうです。ラサのポタラ宮も同じですね。そして補陀洛渡海とは、那智の浜から船出し補陀洛浄土に渡ろうとする行です。もちろん生身の人間が船に乗ります。お経を唱えながら浄土を目指すという究極の荒行。以前、大きな坪に入りそのまま埋められて、死ぬまで経を唱え続ける行のことを知りましたが、この補陀洛渡海という行は遥かにドラマチックです。さぞ人心をつかんだことでしょう。
何事のおはしますをば知らねどもかたじけなさの涙こぼるる
西行作といわれるこの歌を後日知りました。海の向こうに浄土があると思うこと、神社を詣でて見えない何かに想いを託すこと、山の上での一瞬の壮大な光景に心奪われること。心に湧き上がるのはみな同じ、わけも分からず”こぼるる涙”、ではないかと思います。
山中に突然現れた信じられないように美しい光景に、ああこのままいってしまってもいいなぁ、と思うことはそう少なくありません。”いく”といってもどこにいくのか分かりませんが、その瞬間だけどこかに”いって”、また帰ってきている気はします。
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